自宅新築日記

自宅の新築にまつわるあれこれを綴っていくつもりです。

大工が教えるほんとうの家づくり

今回読んだのは「大工が教えるほんとうの家づくり」という本です。著者は大工の阿保昭則さん。文藝春秋。¥1,600。

タイトルから、私には合わないような気もしたのですが、Amazonの書評が随分絶賛だらけだったし、何より自分の価値観とは違うものをたまには読んでおかないと、という気持ちもあり、購入しました。
読後感は、まあ、予想通りというか。

こんな雰囲気の本

「自然素材を使うべし」、「間違ってもツーバイフォーの家など作りたくない」、「今の家は粗大ゴミが家の形をしているだけ」、「床は無垢の木を使い、塗装をしない」、「壁は漆喰又は土の塗り壁にかぎる」、「ニセモノ素材に囲まれて育つ子供たち」、「ハウスメーカの家が地震に強いのは最初だけ」、などなど。
項目を並べるだけで、おおよそどの様な主張なのかは想像できます。

思い込みが散見される

自分たちがやっていることに自信があるのはいいのですが、思い込みも散見され、それが本の信用度を大きく下げています。
例えば、ツーバイフォーの住宅が長持ちするはずがないという文脈の中で、こんな記述が出てきます。

以前私が家づくりの勉強会を開いたときに参加したあるハウスメーカーの設計士が「うちの会社の住宅の耐久性は70年と発言したところ、参加していた大工たちに一斉にどっと大笑いされて、面目丸つぶれになったこともありました。
この本には、わずか築3年で土台が腐ってしまったツーバイフォー住宅の話が出てきます。大工さんたちはそういうのを見て、「ツーバイフォーは長持ちしない」と思っているのでしょう。その意味で、大笑いにも全く理由がないわけではありません。
一方この本には、著者が手がけている軸組工法に関して、「軸組工法の場合は、良し悪しが大工の腕に大きく左右される。悪いものがあるからと言って、軸組工法の全てが悪いと決めつけてはいけない」とも書いてあります。同じ軸組工法の住宅でも、地震で倒壊した住宅としなかったものがあると。それは大工の腕の差であると。
「軸組工法にも良いものと悪いものがあって、悪いものだけを見て軸組はダメだと判断してはならない」と言う一方で、なぜツーバイフォーについては、自分たちが見聞きした限られた事例だけから「ツーバイフォーは長持ちするはずがない」と、決めつけるのでしょうか? これではご都合主義のダブルスタンダードと言わざるを得ません。

私にしてみれば、このエピソードで面目丸つぶれなのは大笑いした大工の方です。何故なら、良く分からないから思い込みで言ってます、と大声で主張しているようなものなのですから。ハウスメーカの設計士が黙り込んだのは面目が潰れたからではなく、「この人たちとはまともな議論は出来ない」と見限られたからでしょう。
勿論、そのハウスメーカの建てた家が本当に70年持つかどうかは別の話です。しかし、ハウスメーカが大手の名にかけてそう言う以上、それなりに劣化試験などを行った根拠を基に主張しているはずです。であれば、その試験は妥当だったのか、と言ったことが論点にならねばなりません。残念ながら、根拠無く思い込みで大笑いする人たちとはそう言った冷静な議論はできません。

私はこの手の「思い込みで判断する人」を絶対に信用しません。まあ、大工はあくまでも技能者であって技術者ではないので、仕方がないのかも知れません。技術者であるハウスメーカーの設計士と、技能者である大工との間で議論が噛み合わないのも、無理からぬ事です。しかし、住宅の耐久性は技能の問題ではなく技術の問題です。技術の問題である以上、科学的な姿勢で判断せねばならないのです。
似たような突っ込みどころが、この本には何箇所も見られます。面倒なのでいちいち列挙しませんが、私にしてみれば「信用できない記述」のオンパレードにしか見えないので、読んでいてげんなりしてきます。
 
デザインの重要性には強く賛同

著者は、「大工はもっとデザインの勉強をしなければならない」と言います。その動機の1つに、「建築家ごときに何百万もとられるのは納得いかん。建築家など要らないと言えるように大工もデザインの勉強をせねば」というひがみに近い思いが有るような気がするのは、深読みしすぎでしょうか。
それはともかく、著者のデザインセンスは確かに優れています。この本は安い割にカラーページが多く、著者が建てた家の写真がいくつも載っているのですが、外観、室内とも、私ごときの目には十分すぎるセンスの良さです。決して奇をてらわず、その為、ぱっと見のインパクトはさほどでもありませんが、毎日そこに暮らすことが心地良いと感じられそうな飽きの来ない、しかし安心できるデザインに纏まっています。素晴らしい。

私などは、住宅の快適性というと温熱環境の面からばかり考えていますが、確かに「心地良くデザインされた空間」というのも、快適性に少なからず影響します。あまり美的センスのない私のような者でも、心地良いデザインとそうでないデザインはあります。それを改めて認識させてくれたのはこの本の御利益です。
もっとも、大手ハウスメーカではそう言うところに結構力を入れてますから、世間的には目新しいことではないのかも知れませんが。

それはそうと、施主に「博多人形を飾りたいが、飾る場所はどこに設けるのか」と聞かれて、「この家には博多人形を飾る場所はありませんよ」と応えてしまう姿勢は如何なものかと思います。私なら、何でそんなことを大工に指図されなきゃいかんのか、どういう風に住もうが、住む人の勝手でしょう、と思ってしまいます。
もっとも、この施主さんは「そう言われちゃいましたよ。あっはっは」とご機嫌なので、満足されているのでしょう。であれば他人がとやかく口出しすることではありません。良かれ悪しかれ、そんな「押しつけスタイル」を是とできる人だけが、著者の家づくりにマッチするのでしょうね。私は御免被りますが。

断熱性・気密性はほぼ無視

私が最重要視している断熱性・気密性に関する記述はほとんどありません。「そんなの言うまでもない『当たり前』のことだから書いてない」と言うわけではなさそうです。というのも、こんな記述があるからです。

わざわざ高いコストをかけて家の気密性を高めておいて、24時間換気扇を回しっぱなしにするなんて、マッチポンプみたいな話だと思いませんか?
(中略)
外断熱にお金をかけたために、素材の質を落として家の中に化学物質が充満し、それをせっせと換気扇で外に追い出し続けなければならないなんて。やっぱり変な話だと思いませんか?

この著者は、断熱性・気密性については世間の最先端からかなり後れを取っているようです。あるいは、知った上で「そこまでの断熱性・気密性は必要ない」と考えているのかも知れません。我慢すればいいという割り切りでしょうか? あるいは空調の光熱費をじゃんじゃん使えばいいという割り切りでしょうか?
何れにしても、この一点だけを取ってみても、私がこの方に自宅をお願いする可能性は全くのゼロです。私にしてみれば、そんなのは「本当の家づくり」ではありません。

著者は確かに優秀な大工(と思う)
著者の阿保さんが優秀な大工であるのは間違いないのでしょう。また、(大工には珍しく?)住空間を心地良いものにデザインするセンスも卓越しています。但しあくまで技能者として、デザイナーとしての優秀さであり、技術を論評する能力はこの方にはありません。技能者と技術者は役割が違うと言うことすら、この方は理解されているかどうか怪しいのですから。


ところでこの本には、「一人前と呼べる大工は全体の3%にも満たない」とあります。更に一流の大工、即ち棟梁として家づくり全体をプロデュースできる人となると1%にも満たないと。
と言うことは、この著者の言うところの「ほんとうの家づくり」をするためには、その100人に1人もいない絶滅危惧種のような大工さんに出会う必要があると言うことになります。これでは一体、年間何人が「ほんとうの家づくり」をできるというのでしょう。そんなごく一握りの人たちに向けてこの本は書かれたと言うことなのでしょうか? (まあ、多分そう言うことなのでしょうが。)

著者の狙いの1つは、この本によって著者の言う「ほんとうの家づくり」をする人が増え、それによって「(著者が言うところの)本当の大工・棟梁」をもっと増やしてく、という良い循環を実現することにあるようです。実際、その様な若手大工の育成活動をされていることも、本書では紹介されています。その理念、目標は大変立派です。

しかし、「一人前の大工は3%、一流の大工は1%未満」という著者の分析が事実ならば、そこからの回復はもはや不可能と考えるのがごく自然です。残念ですが、佐渡島のトキのように特別に保護された環境でなければ増やすことはできないでしょう。

大工にかぎりませんが、当人が優秀であり、しかも謙虚な人である場合に陥りがちな間違いの1つが、「俺と同じ事は誰でもできるはず」と思ってしまうことです。周りの凡人にしてみれば、あんただからこそできてるんだよ、と突っ込まずには居られないのですが、残念ながら謙虚なご当人は本気で「誰でもできる」と思っています。
この著者も、その間違いに陥っているように思えます。

この著者の卓越した能力を認めれば認めるほど、それと同じ力量を持った大工・棟梁が次々に生まれてくるなどとは、到底思えません。それに、ここで言う「一流の大工」が激減しているのは、そもそも需要がほとんど無いからです。増える理由がありません。

一方で、トキとは違って放っておいても絶滅することはないだろうとは思えます。需要がほとんど無いとは言いましたが、逆に言えばごく僅かながら一定の需要は確実に存在するだろうと思えるからです。実際、この本に登場する施主の多くは陶芸家、盆栽家、建築プロデューサー、美容師、彫金師など、やはり普通以上にこだわりの強そうな人がほとんどです。(サラリーマンと思しき人も含まれてはいますが。) そう言う方々からの需要は、少ないながらも根強く残り続けるはずです。
その意味で、著者の言う「ほんとうの家づくり」は、今後もごく限られた僅かな需要に応えて、細く長く生き残っていくことになるでしょう。

ただ、私にとっては、この著者の言う「ほんとうの家づくり」は無用の長物であるばかりか、有害ですらあります。私は「私にとっての」ほんとうの家づくりを引き続き模索したいと思います。