自宅新築日記

自宅の新築にまつわるあれこれを綴っていくつもりです。

住宅は「工業製品」であるべき-おまけ-

-後編から続く-

 

8.工業製品の努力-再現性の追求-

工学は自然科学を土台として成り立っているので、自然科学と同じく「再現性」を重要視しています。どのくらい重視しているかというと、これが無ければ自然科学ではない、これがなければ工学ではない、というくらいのものです。

ところで「再現性」とは何かというと、

  • 同じ条件で、
  • 同じことをやったら、
  • 同じ結果になる。

という意味です。
何故これが大切なのかは後編にも書きましたが、「やってみたら、たまたま成功した」というのでは、作り手もユーザも困ってしまうからです。是が非でも「こうすれば、確実に狙いを達成できる」が必要なのです。

ところが、現実には「同じ条件で同じ事をやったはずなのに、同じ結果にならない」ということも頻繁にあります。前回やったときには上手く行ったのに、何故だか今回は上手く行かない、などです。
実は、「同じ条件だったつもりだが、実際には同じ条件ではなかった」というのが、そういう困った状況の正体です。となると、どうにかして条件を同じにしなければなりません。

  • 温度だけでなく湿度も同じにしなければならないのか?
  • 温度を同じにしたつもりだったが、微妙に0.1℃だけ違っていたかも?
  • 圧力が違っていたのか?
  • 材料にものすごく微量の不純物が混じっていたのか?
  • などなど

こんな感じに、考えられる原因を片っ端から挙げていき、条件をどこまで厳密にそろえれば同じ結果が得られるのかを調べていきます。それには時に高価な実験設備が必要ですし、膨大な回数の実験が必要です。かなりの費用と時間がかかる作業です。(そう言えば、ヘーベルハウスもの凄い実験設備を持ってましたね。さすがは化学メーカです。)

同じような話に、ばらつきの制御があります。
「同じものを作る」とは言っても、現実には全く同じものは作れません。「概ね同じ」が実体です。それを「全く同じではないけど、実用上は同じと言ってもいいでしょ」という程度にするためには、どこまでの製造条件のばらつきが許されるのか? 材料のばらつきが許されるのか? これも膨大な実験をやってみなければ分かりません。
住宅で言えば、例えば耐震性1つとっても、カタログに謳っている耐震等級を確実に満足するためには、材料のばらつきや施工のばらつきはどの程度までに抑えなければならないのか? 逆にどの程度までなら許されるのか? 間取りの違いがどの程度耐震強度に影響するのか? どれもこれも片っ端から揺らして壊してみなければ分かりません。勿論、耐震強度以外のあらゆる性能に関して同じ事が言えます。

ともかく、それをやっていけば、最後には「こうやればいつも同じ結果が出る」にたどり着くことが出来ます。そのアプローチは、科学的態度のときに書いた反証の方法と基本的に同じです。自分で立てた仮説を自分で否定しようと試み、どうやっても否定できないことから最初の仮説が正しいと確信するのです。(否定できてしまって、別の仮説が必要になることもしばしばですが。)

こういう努力の積み重ねの上に、工業製品は作られています。
住宅を工業製品として作っているメーカは、例外なく、こういうところにコストをかけているはずですし、また、そうでなければ工業製品を名乗る資格はありません。
その努力の上に成り立っている製品だからこそ、私達は安心して工業製品を使い、時に命を預けることさえも出来るのです。(例えば、自動車や飛行機に乗るとき、あるいは、大きなビルに仕事や買い物で入る場合もそうです。いつ落ちるかも知れない飛行機には乗れませんし、いつ崩れ落ちるかも知れないビルには入れません。)

住宅にも同じ安心感が欲しいと考えるのは、ごくごく当然の感覚だと私は思います。そう思うだけに、その安心感が当たり前ではない住宅業界は江戸時代だと思うのです。

9.そうは言っても‥‥

そうは言っても、実際のところ、全ての住宅メーカ・工務店が大手メーカ並みの設備を整えて工業製品としての家造りに邁進するというのは、ここ数十年では実現不可能でしょう。例えば、普通の工務店に、実大振動試験(実際と同じ規模の家を建ててそれを試験装置で揺らして壊すという実験)は実施不能です。
それに、仮にやるとしても、その分のコストは確実に建築費用に上乗せされます。私自身は、それは「必要なコストであって、手を抜いてはいけない部分」という考えの持ち主ですが、「そんなのいいから、とにかく安く」というニーズが強いことも、また事実でしょう。

自動車や飛行機では、「たとえそう言うニーズがあろうとも、試験・確認をしていないものは販売してはならない」という法制度の縛りがあります。住宅業界にそれと同じルールを持ち込むのは、果たして社会正義に叶うのか? それとも単なる余計なお世話なのか?

簡単には答が出ない問題ですが、ほったらかしにしておいて良いとも思えません。
結局は、(平均的な)消費者が何を望むかで決まってくる問題なのですが、果たして世間の平均的な施主はどう考えるのでしょうかね?